男性保育士に対する性差別の議論は宗教戦争だ

男性保育士の女児担当外しは性差別? 熊谷俊人・千葉市長の発言で議論

こちらの記事内容に関連する話題がここ最近議論になっているようだ。
女児に対するおむつ替えや着替えの業務を、男性保育士が担当することが不快であるとの指摘が発端で賛否両論が繰り広げられている。

主な意見はそれぞれこのようなものだ。

賛成派の意見

  • 対象は幼児であり羞恥心はない
  • 保育士は医師や看護師同様の専門職であり信頼すべき
  • 保育士のなりてが少なく待機児童問題が解決しない現状では妥協しなければならない

反対派の意見

  • ただただ不快である
  • 性犯罪の大多数は男性→女性であり性被害は実際に出ている
  • 男女差別ではなく性差であり業務の役割を棲み分ける事で対応すべき

反対派意見のほとんどは、感情論に帰着する。なんとなくイヤ、生理的に受け付けない、といった感覚に帰する意見に上品な服を着せた表現がほとんどだ。人間であるなら正常な反応だといえる。実際に性犯罪は存在している以上、対策を講じなければならないという論は正しい。感情丸出しではなく論理的に見せるべくデコレーションを施さなければならないのは、議論のためである。論理が通っていなければ議論ができないからだ。感情そのままだと、「そう感じていない他人」を納得させられない。

この問題の本質は、生来感情的な着目点に対して論理で戦おうとしている点にある。合理的な反対理由を上げるのは難しい。あえてひねり出せたのが防犯思想の観点だったというだけのことだ。法的にも倫理的にも社会的にも平等論においても賛成派側に分があるため、もはや宗教戦争だ。万人が認める正解などない。であるならば、無理に論理で戦うのではなくストレートに「いやなものはいや!」と言い切ってはどうか。本音はそこだろう。

平等や反差別の思想は分かるが、現実に性差は存在しており男女は異なる。それぞれに向き・不向きがあり、適職がある。性的な問題が含まれる領域では世界は女性に甘く、男児の保育や、男子トイレの清掃などを例に挙げるまでもなく、男女逆のケースなら問題視されかねないことでも女性には許される面がある。それとは逆に肉体労働や体力勝負な職場では男性が俄然有利であり平均所得は男性のほうが高い。

こういうことは単なる違いの問題である。性質や能力に違いがある以上、競争社会ではその優劣で淘汰が行われるだけだ。保育士の業界で男性が不利であり顧客が付かないとなれば男性保育士はクビになりやすく、結果として女性の天下となる。そうなればいいではないか。同様に、体力勝負な職場では女性はクビになりやすく、男性の天下となる。それでいい。こうやって顧客満足度に基づいた競争原理で淘汰を進めることで合理的な社会に成長できる。男女雇用機会均等法の施行以来、なんでも平等であるべきという暴論が散見されるが、目指すべきは結果平等ではなく機会平等である。

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